パナマ運河の歴史



※ ざっくりと。

<開通まで>

昔々(19世紀末)、レセップスというフランス人が居ました。
この人は、地中海と紅海を結ぶ「スエズ運河」を作り、お金持ちになりました。
そこで、次は「カリブ海と太平洋を結ぶ運河を作ろう!」と考えました。今のパナマ運河です。

でも、スエズ運河は砂漠を「ガガガッ」と掘るだけで簡単だったが、パナマの場合、密林があり、マラリアや黄熱病が蔓延していました。
そのため、多くの作業員が犠牲になりました。

また、スエズ運河の場合、地中海と紅海という穏やかな海を つなげば良かったが、パナマの場合は、カリブ海と太平洋という荒ぶる海、そして、海面の高低差がありました。
スエズ運河は、ロックが無い「海面式運河」です。現在のパナマ運河は、ロックがある「閘門式運河」です。

ロックというのは、水路を進んできた船の周りをせき止めて、水を注入/排出することで、水路の水面の高さを変える機能です。

レセップスは、パナマ運河を海面式運河として作ろうとしましたが、前記の病気の蔓延もあり、失敗しました。(破産)


で、その当時(19世紀末)、パナマ運河を最も必要としていたのは、新興国アメリカでした。
1848年に アメリカはメキシコからカリフォルニア州を割譲されたことにより、大西洋~太平洋まで陸続きの国になりました。
よって、太平洋側でも海軍力が必要になりました。

(参考: ペリーの来航は1853年。)

当時、大西洋 → 太平洋に軍艦を行き来させるには、マゼラン海峡(南アメリカ大陸の南端)を周る必要があり、アメリカは軍事的にパナマ運河を切望していました。 



NPコメントからの続き ↓

レセップスが失敗したので、アメリカはパナマ運河建設を継承しようとしました。
当時、パナマは「コロンビア」の一部でした。
よって、アメリカは、コロンビアと運河建設の交渉を行いました。

しかし、アメリカの強気の要望に対して、コロンビアは これを拒絶し、交渉は断絶しました。


しかし、とても不思議なことが起こります。
その当時、パナマ地域では、大規模な独立運動はありませんでした。
が、なぜか一部の独立運動家グループがアメリカに行き、パナマの独立を宣言しました。
それを、なぜかアメリカは「国家として承認」しました。(1903年11月3日) 

当然、コロンビアは怒るよね。
海軍をパナマに向けて出動させた。
一触即発の状態!
が、コロンビアは戦火を交えず、そのまま帰りましたとさ。(めでたし めでたし?)
ということで、うやむやの内に、パナマは独立しました。

※ なお、パナマに住んでいた住民にしてみると、いきなり独立してビックリしただろう。
独立運動が無い北海道で、一夜明けたら いきなり独立国になっているようなものだ。 

しかし、独立したパナマであるが、アメリカへの多大な「借り」を作ってしまいました。
よって、パナマにとって、ものすごく「不利な条件」で パナマ運河建設の条約を結ぶことになりました。(パナマ運河条約)

パナマ運河は、アメリカによって建設され、1914年8月15日に開通した。
なお、1914年7月28日に第一次世界大戦が始まっており、パナマ運河のニュースは目立たなかったらしい。 

※ この辺が、パナマ運河の不幸。
開通のニュースは第一次世界大戦で目立たなくなり、今回の拡張のニュースも、パナマ文書や、英国のEU離脱のニュースで目立たない。。。

<返還まで>

こっちに書いた。



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