パナマ運河の歴史(返還まで)

開通までの歴史は、ここや。

開通以降

こうして、アメリカに作ってもらったパナマ運河。
パナマ運河条約を根拠に、アメリカによって運営されます。
パナマ運河条約によると、パナマ運河は永久にアメリカの物です。(=返還の予定なし)

パナマは、運河の収益の一部をもらっていたが、その代わりに、運河の両岸(それぞれ8km)を租借地とすることになりました。
租借地は、今の日本にあるアメリカ軍の基地だと思いましょう。(永久に租借地)

租借地は国の真ん中の広大な地域。
そして、運河の収益の大半はアメリカに行く、となれば、当然、返還運動が起こります。
その返還運動で、血も流されました。

で、そういう努力が実り、1977年、パナマのオマール・トリホス最高司令官と、アメリカのカーター大統領(民主党)により、新パナマ運河条約が調印され、1999年12月31日を持って、運河がパナマに返還されることになりました。(めでたし、めでたし)

なお、オマール・トリホス最高司令官は、パナマ国民にとって、最大の英雄でしょう。 運河を返還させたから。
パナマ市内の真ん中には、オマール公園という大きな公園がありますが、これは彼の名前に ちなむものです。
(その場所は、もとはゴルフ場でした。私がパナマで一番好きな場所の一つです。)

運河返還

1999年12月31日、遂に運河はパナマに返還されました。


※ 当時のパナマ大統領はミレア・モスコソ女史。 大統領選でマルティン・トリホス氏を破って当選しました。
なお、破れたマルティン・トリホス氏は、オマール・トリホス最高司令官の息子。
「父親(オマール)が返還を約束させた運河を、息子(マルティン)が受け取る」はずが、うっかり負けてしまいました。(日本でいうと、トリホス氏は自民党、ミレア・モスコソは民進党 みたいな位置づけです。)

※ なお、次の選挙でマルティン・トリホス氏は大統領に当選し、2004~2009年、大統領を務めました。

運河の拡張

前述のように、運河ができたのは100年以上前。
現在のような、巨大なコンテナ船を予測していません。

長らく、巨大船には「パナマックスサイズ」と呼ばれる上限がありました。
ギリギリでパナマ運河を通れるサイズが、パナマックスサイズ。

船を設計する時には、パナマックスサイズ以下にするか、それを超えるサイズにするかを決定する必要があります。

技術の進歩でパナマックスサイズ以上でも、おおきいエンジンを積んで、南アメリカを周るとか、地球を逆回りする方法も可能になりました。
また、中国資本による、「ニカラグア運河」という計画もあります。

紆余曲折がありましたが、ついにパナマックスサイズ以上の船を通れるように、パナマ運河を拡張したということ。ザックリ書くと。

以上。

一応、書いておくと。

なんで、パナマ運河に詳しいかというと、2001年~2003年まで、青年海外協力隊員としてパナマに住んでいたから。

歴史の部分の知識は、中公新書の「パナマ運河(山口 広次著)」という本が、大部分の元ネタ。
手元にないが、パナマに居たときに、2、3回通読したときの記憶を下に、この文を書いた。(だから、もしかして、一部誤りがあるかも。)
なお、年号とかはWikipediaから拾った。

なお、この本は絶版であるが、パナマ運河の歴史を知るには、一番おすすめ。 (パナマ関連は、多くの本を読んだが、この本が一番)
ここに書かなかったが、パナマの独立に怪しいフランス人が暗躍した、みたいなことも書いてあり、ノンフィクションの読み物としても面白い。

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